だいぶ前の話題だが、酒が寿命を縮めるという英国の研究が伝えられた。もちろん、ベートーヴェンのようにアル中になるほど飲めば寿命は縮むに決まっているが、従来は、アルコールは少量ならむしろ健康にいい(糖尿病などのリスクを下げる)と言われていたし、「赤ワインは薬」(フレンチ・パラドックス)などという都合のいい話も流布されてきた。しかし今回の研究ではアルコールは循環器系疾患のリスクを高めることによって、一日一本のビールを飲んだだけで寿命を最大半年縮めるのだという。
私について言えば酒は強い方ではないが嫌いでもなく、酒が不味いような料理(丼ものとかカレーライスとか)の場合以外は、必ず晩酌(酒なら一合、ビールなら小缶一本程度)をやることにしている。その大きな理由はひとえに「その方がご飯がおいしい」ということに尽きる。アルコールが食欲を増進する効果は科学的にも立証されており、また「酒には合うがごはんには合わない料理」というものも多く、食の多様性を増大させてくれるし、料理の塩気・油気や生臭みなどをサラッと酒で流して口の中をリフレッシュさせる効果や、それ以前にそもそも「おいしい酒」の魅力には捨てがたいものがある。
もちろんそれ以外に非常に大きな理由は、現在のコロナ下では厳禁の「飲み会」であって、早い話が酒を飲むと気が大きくなり、口が軽くなって話が弾む(往々にして言わなくてもいいことまで言ったりもするが)ことによって、人間同士の距離感が縮むのだ。私の場合、苦手な英会話がどういう訳か酒を飲むと気軽にできるという不思議な事実もある。ほかに酒を飲むと血の巡りがよくなり脳内神経伝達物質が行き渡って「思わぬアイデアが出る」という気もするのだが、素面になった時にその「アイデア」を見直すと大したアイデアでないことも多くて、これは何とも言えないような気がする。
で、今回の研究であるが、酒を飲まない人間にとっては「別に酒を飲まなくてもご飯は十分おいしい」「酒を飲まない方が頭がクリアに保たれる」「酒を飲まないと他人と付き合えないような人間は精神的な問題がある」ということになるのだろうと思う。しかし私のような「酒は(百薬の長ではないにせよ)食事のベスト・パートナー」と考える人間にとっては、この結果をどのように受け止めるべきか、やや気になる話ではある。
こういう研究については、たとえそれが厳密な統計処理が行われているとしても、いろいろな解釈がありうるものである。例えば下記のように考える人は多いだろうと思う。
① この研究だが、もし新生児を、酒を飲ませるグループと酒を禁じるグループに分け、双方を同じ環境に置くか大数の法則が成り立つほど多量のデータを集めて、結果後者の方が寿命が長かったということであればその正当性を認めてもよい。しかしこの統計は酒を飲む人と飲まない人が疾患にかかる確率を比較し、そのような疾患で寿命が短縮される割合を計算した結果のようである。酒がそれ単独では肉体にダメージを与えるとしても、酒を飲むことによって食欲が増進されたり、ストレスが解消されたりする効果は間違いなくあり、それによって実際にはもっと短命であったはずの寿命が延長されている可能性があるのではないか。
② たとえそのような効果がないとしても、「酒を飲むことの楽しみ」がクォリティ・オブ・ライフの向上につながる面を考えると、酒のメリット・デメリットは寿命だけでは論じられない。「太く短く生きる」とまで言うのは言い過ぎにしても、平均80年の寿命で半年ぐらい寿命が短縮されてもそれで酒が飲めるならいいや、という人は多いのではないだろうか。
さて、本ブログは「音楽ブログ」なので、話変わって音楽の話題である。上の例に倣って「音楽にはまらなければ金が溜まる」という命題はどうだろうか。科学的な検証のために、今まで私がレコードやCD、楽譜や楽器、レッスンやコンサートなどに費やした金を、その支払いの時点から平均的な投資運用率で計算すれば、今ではかなりの金額になることは間違いない。さらにそれらのために費やした時間にアルバイトや残業をすればもっと金が溜まっていたかもしれない。
「酒を飲まなければ寿命が延びる」と「音楽をやらなければ金が溜まる」には、何か共通した論理の落とし穴があるような気がする。それは「寿命が延びる」「金が溜まる」というような事態の数量化を「科学的」であると考えることである。これらはいずれも「計算がしやすい」という事情によって、「絶対的な価値の代表」と考えられている。しかし人生という巨視的な対象においては計算はそう単純ではない。音楽で言えば、私が長年サラリーマン生活を続けてこられたのも、音楽という息抜きがあり、音楽を通じて様々な友人に恵まれてきたからである。それがなければ、金が溜まるどころか人生の途中で社会からドロップアウトして無一文になっていた可能性もなくはない。
「音楽は感覚のチーズ・ケーキ」(スティーブン・ピンカー)という有名な警句は、音楽が人間の生理的な生存において何らプラスとなるものではないことを主張している。それは酒が人間の健康にプラスとならない、という発想に通じるものである。私のような音楽好きの人間は、音楽は人間の生理に根差していてそれを絶たれれば精神的な健康に害があると考えがちだが、それは錯覚で、むしろチーズ・ケーキや麻薬のように、場合により禁断症状を通じて生理的には害であるのかもしれない。にもかかわらず、音楽のような「実施することに何のメリットもないモノ」が存在して、それが社会の中で排除されずにむしろ尊重されるのは、別のルートを通じて「人生」のプラスになっているからに違いない。(音楽が育児や集団活動などを支えることで「役に立つ」ために存在する、という類の言説は、私には音楽の本質的な存在理由ではないという気がする。)
私の考えは、音楽が人生のプラスになるのは「音楽が人間の生存にかかわらない」ことそのものではないかというパラドックスである。我々は音楽に集中することによってほかの事物への集中を中断することができる。それこそが音楽がもたらす「安らぎ」「癒し」「気分転換」であって、そのためには音楽は「十分に集中できるだけの高度な構築」でなければならない。逆に「何かのプラスになる」ものを考えると、それは精神的に毒にも薬にもなるため取扱いに注意が必要である(プラスになった場合はいいがそうでない場合の方が多いかもしれない)。酒を飲んで頭を空っぽにしたところで明日の仕事のための知恵がなんら身に付くわけではないのだが、人間には「無用の用」とか「廓然無聖」なものが絶対的に必要であり、それが人間の百八の煩悩を埋める部分として必要である(何だか話が仏教になってしまったが)。
そう考えると、例えば酒は確かに健康への害はあるかもしれないが、それは常識的な量なら80歳の寿命が79.5歳になる程度のものである。音楽にはまれば金と時間を浪費するだろうが、節度をもって(これがなかなか難しいのだが)楽しめば生活を破壊することはない。そのように限度さえ守れば、これらのものは結果的に人生のプラスになりこそすれ、決して後悔するようなものではないと私は信じている。
何を隠そうこのブログは、晩酌を一杯やった勢いで書いているので、この見解自体が多分に偏見に汚染されていることは否めない。しかし酒は害でしかなく、音楽は暇つぶしでしかないという話を聞くと、「それはちょっと違う」と思わざるを得ない。とは言えよく考えてみるとこのブログを読んでいただけるような方はほとんどが音楽の価値を信じている方なので、それと酒を比較することは、結局「酒が飲みたいだけ」と言われる可能性もあるのだが…
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