前回に続いて「君が代」の特異性について検討したいと思うのだが、その前にまず、一般的な「国歌」の形態について考察してみたい。国歌の歌詞には(一部私見だが)おおむね次の3つがあると考えられる。
①平和、繁栄、国王の長寿などを願う(「祈る」系)
②国土・歴史・優れた統治者などを自慢する(「讃える」系)
③敵を倒す(「戦う」系)
これらは基本的に「歌う主体」が属する集団(国)とそれ以外の集団の関係によって分類できる。①は「祈る」個人とその属する集団や統治者との関係に終始し、「他者」の存在感よりも同一信条を持つ個人が同じ方角を向くことを重視している。これに対し②は、自らが属する「讃えられるべきもの」が(他より)優れていることを(場合によっては暗示的に)主張するものであって、①に比べてやや「他者」への意識が感じられる。最後に③は「戦う」集団が他の集団に対して勝利することを歌っているわけで、当然「他者」への強烈な対抗意識に支えられている。
もちろん、それは平和主義とか闘争的とか、そういう問題ではない。①のような場合でも「祈る」対象によってはそれを祈らない集団との間に対抗意識が芽生え、宗教戦争のような場面で「祈る」歌が歌われることもある。今も昔も信仰とかイデオロギーに身をささげる人はいるものである。私の考えでは、集団が同じ歌を一緒に歌う(あるいは同じ音楽に耳を傾ける)のは、意識を音楽に集中させて個人ごとの意識が別々の方向を向かないようにする(雑念を消去する)ためであって、そういう意識に一定の方向性のある人間の集団は当然他の集団に対して結束できるというのが、このような「同じ歌を歌う」効果である。これを「一緒に歌って盛り上がる」ということであると考えてもいいだろう。
そもそも国歌(社歌、校歌)の類の音楽が必要なのは、国対国、地域対地域、集団対集団という対立の構図が明確になる時点である。このような対立は国歌が歌われる言語や、国歌に歌われる国家の代表者(統治者、支配者)などによって明確に表現される(前回述べたように、必ずしも「音楽」で表現されるわけではない)。つまり国歌も、国家など「人間の集団」を個物化するときに貼り付けられる一種のラベルである。近代的な国家が成立する以前も、ある集団が他集団との間に対立軸を設定し、それとの差異を集団の歌によって区別する、というような政治的・宗教的・軍事的対立があり、信仰を共にする集団や政治力を有する一族などが、その内部の結束のために「歌」を利用してきただろう。しかしながらヨーロッパで近代国家が成立すると、各国家は領土と人民の囲い込み合戦に精を出し、国家同士の接触が強く意識される。フランソワ一世の戴冠式のための曲が英国国歌(”God Save the King”)になったように、「ファミリー」の結束が国家の結束に拡大され、一方が国歌を持てば他方も国歌で対抗する。
このような経緯において、国歌のタイプがある程度決定されるようである。上記分類の③は、民族や身分などの集団の対決から成立した国家のもの(「ラ・マルセイエーズ」とか「義勇軍行進曲」とか、いわゆる「軍歌」系のもの)に典型的に見られることは言うまでもない(これらがすべて「付点リズム」の曲であることは興味深い)。これに対して①はより「身内」的であり、歴史と伝統を守りたいという意識が強く表明されていると言うことができる。つまり、③は他者との対決のため、①は身内の結束意識向上のために歌われるものであって、その契機はいずれにせよ他者との関係に由来すると言うことができよう。
ついでながら②だが、そもそもその地に住んでいる人間が、何の契機もなくその地を讃えたりするだろうか? 私は生まれたときから京都の観光地の近所に住んでいて、「いいところにお住まいですね~」などと言われることも多いのだが、観光業でなく単に住んでいるだけの人間にとっては、観光客は煩わしいし(スミマセン)物価は高くて「いいところ」だと実感できることはあまりない。それでも一応「東京」に対する子供っぽい対抗意識はあって、東京都のことを「ひがしきょうと」と呼んだりするのは、まさに小さな「国家」意識と言ってもいいかもしれない。つまり、②のような賛歌をみんなが歌うのは他の「国家」に対して自らの存在を自覚し、他に誇示する必要がある場合に限られる。そうしてその典型がオリンピックという国家の「競争」の場であると言うことができる。
以上、当たり前の話だが、国歌の歌詞はそれぞれ方向性の違いはあっても、他国を意識し他国との差異を強調することによって、国民の結束を図り他国に対して対抗しようという目的は共通であると言える。で、「君が代」であるが、タイプとしては一応上記の①に属しているのだが、制定の経緯は「外国の賓客を迎えるため」であって、一応「他者」との関係が契機になっているとは言うもののかなり内向きの、地味な印象がある。幕末には例えば「宮さん宮さん」のような「みんなで歌って盛り上がる」系のものも存在したのだが、それが「ラ・マルセイエーズ」のような地位を占めることはなかった。それは歌われている内容が単なる「政権の交代」であって、政治理念としての「維新」はそれとは関係なく進行していた、ということではないだろうかと思われる。
「君が代」は英国国歌に範をとったと言われており、上記類型の①に相当する歌詞もほぼ共通ではあるのだが、「君が代」は英国国歌に比べても「君主」に対する姿勢がより薄味である。そもそも歌詞自体が曖昧で、光孝天皇が僧正遍照に対して類似の文句(「君が八千代」)を発言している記録すらある。つまり、この歌は制定当時(明治時代)、英国国歌などを真似て天皇の長寿や支配の永続を祈る歌として制定されたことは間違いないものの、元来天皇専用に作られたものではない。むしろ江戸時代までの天皇はどちらかと言うと、長寿を祈ったり賛美したりすること自体がはばかられるような「かけまくも畏き」存在であるべきと考えられていたような気がする。
であるからして当然、君が代は「一緒に歌って盛り上がる」曲ではない。一緒に盛り上がるという意味は、上述の通り一緒に歌うことによって連帯感を生じることである。それはまた、国歌を歌うという行為によって国民の間に連帯感が生じることが必要であることを意味する。そもそも本来的に「国歌」が必要であるような国は、連帯することが必要な国、一体になり切るように努力している国であるということだ。これに対して「君が代」が存在する日本という国だが、国内を二分するような争いがあってもそれはあくまで「内戦」であって、「外敵」との戦いで国の存立が危うくなったことは(第二次世界大戦の敗戦を除いては)かつてなかった。日本は(大陸にある)他国から地政学的に隔絶され、かつ民族的な一体感を維持し続けてきたのだが、そういう幸福(?)なケースは世界史的には決して多くない。すなわち、日本人にとって日本という国があることはほとんど意識しない空気のような事実であって、「国」という単位が地球を分節しているという観念はなく、なんらかの対立を感じる意識はごく稀に発生した海外との軋轢よりも、地域(クニとかムラ)や集団(宗派とか)単位の対立が主体であったように思われる。
それとも関連するのだが、世界史的にさらに特異なのは、日本を代表する存在と公認されてきた天皇が、政治・軍事・宗教の各種勢力の交代から隔離されてきたことである。もちろん古代の天皇は政治・軍事的権力者であったと思われるし、天皇自身やその周辺による復権の試みも繰り返し行われたのだが、結局天皇がそういうものから距離を置いている形、「権力」でなく「権威」で君臨する形が一番安定している、という合意が形成され受け継がれてきた。外国勢力によって支配されたり、政権がその影響下に置かれたりする場合、現に存在する「権威」が失墜するのが通例だが、日本の場合は(国内の)いかなる勢力が権力を握っても、長期に亘って「権威」を有してきた天皇を支える形をとることが他の勢力を納得させる最良の方法であると言うことが、一般的な合意であったということが言える。
ついでながら、天皇は宗教的支配者でもない。天皇と神道を結び付けるのは江戸期の国学以降の発想で、長い間天皇家の信仰は仏教だったが、天皇が仏教の指導者だったことはない。宗教の指導者は教義から見て何かの正否を判定したり、教義に従って何かを命じたりするものであるが、平安期以降の天皇は数人を除いてそういう行動をとることが周囲からほとんど期待されていない(上皇となり院政を敷いた天皇も決して仏教の指導者ではない)。天皇の最良の姿勢は、天皇として存在しつつ「何もしないこと」であると考えられて来たし、この思想は今日でも全く変化していない。
ではいったい天皇の存在とは何なのかというと、それは先に述べた「個物に貼られたラベル」以外の何物でもない。先に「国歌」が国という個物に貼られたラベルであることを述べたが、「君が代」という国歌はまさしく「ラベルについて言及しているラベル」であって、これほど日本の政体をよく表しているものはないと言える。こんなことを言うと右翼に絡まれるのかもしれないが、私は政治的な問題はブログでは封印しているつもりで、この話も全く政治的とは考えていない。これは単に日本国憲法に言う「国の象徴であり国民統合の象徴」ということを言い換えただけである(旧憲法も精神は事実上全く同様と考える)。
日本の天皇が「象徴」という無色透明な存在であるのと並行して、「君が代」の方も内容は長寿あるいは体制の永続を願うだけのほとんど無意味に近い内容で(2番や3番を作る動きもあったらしいが、結局放棄されたようだ)、純粋なラベル同士からなる国歌という特異性は注目すべきものであると思われる。しかし、それは「ラベルの存在」の意義を軽視することでは全くない。ラベルがあってこそ、個物は容易に、明確に認識できる。もしベートーヴェンのイ短調バガテルに「エリーゼのために」という意味不明のラベルが付いていなかったら、この曲が世の人口に膾炙することがあっただろうか。そういうラベル貼りは音楽のあらゆる階層において行われ、それが音楽の認識を支援している、というのが私の音楽に関する根本的な見方である。
※ロラン・バルトに「日本の中心は空白」という名言があるが、その「空白」は非常に重い、構造を支える空白であるということを考える必要がある。
どうも話が「音楽ブログ」からやや逸脱しかけてきたが、私は別に現在の「象徴天皇制」が最良の政治体制であるとか言いたいわけではない。それはどこにでもある「個物にラベルを貼って、それが個物として存在する事実を明確にする手法」の典型であると言っているのみである。このように、「天皇」が「個物として存在する日本国」の象徴でありラベルであるならば、「君が代」はそれを参照することによって「昔から存在し、現に存在する日本国という個物」を意識上に呼び起こす効果を持っているわけである。
だから日本人が君が代を歌うとき、それは今更「身内(国民)の結束と、他者(外敵)の排除」を意味したりはしない。それはむしろ、国という普段意識しないものを呼び起こすことによって、それが歌われるような場が改まった、神聖な場であることを意味している。つまり君が代は「国民の団結」ではなく「場面を聖別」するために唱えられる祝詞のようなものである。君が代を歌うのは「その場に参加している」ことの証明であって、そこにいるほかの人との間の連帯関係を意味しない(そういう連帯感が「国歌斉唱」で生まれると期待するのはそもそも間違っている)。また逆に、それを歌うことによって他国への対抗意識を掻き立てる可能性もほとんどないのではないだろうか。
※英国の「君臨すれども統治せず」という政体は、かなり日本の状況との類似を思わせるのだが、英国国歌には「われわれに勝利を」というような実質的な内容の文句があって、「君が代」の「緩さ」との差を感じさせるものである。昔、私は日英の対比において<縄文系>=<ケルト系>、<弥生系>=<ゲルマン系>、<古墳系>=<ノルマン系>、<中国系>=<ラテン・フランス系>というような対応を考えたことがある。もちろん時代も順序も異なるのでジョークの域を出ないのだが、日本の方が国内の民族的融合が英国よりずっと古く、英国の場合は大陸との関係によって国内が分裂の危機にさらされるような緊張関係が常にあり、それが英国国歌と「君が代」との差に現れていると考えられる。
話が音楽からかなり遠ざかってしまったが、次回(最終回)は、こういう状況の元に存在する「君が代」がどういう音楽なのか、ということを実際の「音」に沿って考えていきたい。
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